私の音楽人生。このピアノと共に

実家にあるグランドピアノを調律してもらいました。

このピアノは私が16 歳の時、両親が買ってくれたものです。

父がこの家から持ち出しては行けないと言ったピアノです。

しばらく放ったらかしにしていました。

このピアノ、調律師さんにいろいろ喋ってきたみたいです。

ピアノも想いが溢れてしまったのでしょう。

調律師さんが健気で愛しいピアノですねとおっしゃいました。

「このピアノ弾いてくれるのを待っていたみたいですよ」

胸が熱くなりました。

語らせてください。今日はこのピアノと歩んだ高校時代を

私は潰しのきく普通科に行ったら?という周り意見を無視して、都立芸術高校という学校に行きました。

とてもレベルの高い学校にやっとの思いで入学しましたが一学期の終わりに父が仙台に転勤になり、一緒に行くか、一人残るか、最初の人生の決断をする時でした。

父は連れて行きたくて、仙台の音楽科のある学校を探していましたが、
「母は、芸事はやっぱり江戸だと思う、お母さんは優先順位がお花ではなくお父さんだから今回はついて行くけれど、あなたは将来を考えて自分で選びなさい」

と言いました。

両親と義務教育だった弟と妹は仙台へ行き、私は祖母も親戚もごちゃっと近くに住んでいる東京に残りました。
(私の一族は今も東京にごちゃっといます。)

音楽科の世界は厳しく、この年の同級生は特に優秀なクラスでした。

私はやはり父の転勤で、幼少時代から中学一年まで福島の田舎で野山を駆け回り、水泳部、ソフト部と部活動に明け暮れて中3の夏に急に目覚めて音楽高校に行くことにしたので、高校に入学できたものの、両親から離れて16歳から自炊をしながら同年のピアノ科と競争するには小学生と高校生くらいの差がありました。

高校受験の時から、あなたは歌向き、身体も声帯も性格も歌ならオペラ歌手にもなれるから歌科に転向しなさいと何度も言われ続け、ピアノは性格的にも小指も短いし向かないと言われ続けてきました。

音楽科が1クラスしかない芸校に入学できたのも、無遅刻無欠席、生徒会、部活に熱心で成績も良かった内申と、ソルフェージュ力のおかげ。
奇跡的に入学できてしまったため、入ってからがそれはそれは大変でした。

同級生が初見で簡単に弾ける課題を一時間かけて練習して弾けるようになるレベルでした。

ですから、ピアノの成績がいつもビリかビリから二番目でした。

長く続けていったらいつか上手くなれると信じてここまで来ました。
おかげで
もうこのトラウマはなくなりました。

私の高校生の過酷な生活は、後々、とても役に立ちました。

現在音高のお友達がFB内にも友達になっています。
今現在も各方面の音楽界で大活躍していて、やっぱりあのクラスは尋常じゃなかったと思います。
今となっては、同級生の活躍が一番の励みになります。

ピアノはしばらくサボっていましたからずいぶん動かなくなりました。
それを言えちゃう年になったんだわ。
インベンションからやり直しです。
また初心に戻らせてもらう良いきっかけをいただきました。

このピアノと対話して6曲、作曲出来ちゃいました。

作品にしていきます。